バーの数だけいろんな酒がある

  

ジェラス 1977

ジェラス家の歴史は1246年まで遡ることができます。同家はアルマニャックの地であるガスコーニュにあり、そのガスコーニュ・スピリッツを持ち続けていくことに誇りを持っています。1865年の会社設立以来、現在に至るまで同族経営を守り続けている数少ない会社でもあり、またビンテージ品に関しては1875年物から保有しているという古酒のスペシャリストでもあります。

From ジェラス 1977 -Japan Import System-

この香り、、、好き( ̄▽ ̄) [Bar 夜行]

正月用にこのジェラスの30年モノを買って飲んだけど、このジュラス 1977を飲んだ時に共通に感じたのがかなり渋めな葡萄を濃縮したような香りに(甘さは控えめ)かすかに被さる少量のセメダインや中性洗剤を思わせるアクセントある香りだった。ただこのジュラス 1977にはさらに柑橘系の香りもかぶさっているように感じた。そしてジュラス 30年がかなり甘さ控え目で「漢のための美酒」といった感想を持ったのに比べてこのジュラス 1977は飲んでみると・・・意外と思えるフレンドリーな甘さも持っていて「紳士淑女のための美酒」といった感想を持った。ジュラス、好きになった( ^∀^)。



1977年か、、、、あの頃は純粋無垢でかわいい子供だったなー( ̄▽ ̄) [あくまでも自己評価]。そういえば、あの頃って家庭でゴミ燃やすのOKだったし、ゴミの分別もなかったし、飲酒運転も厳しくなかったし(家族で外食した時は周りの人も親父もそこそこ飲んでても当たり前のように車で帰ってたよな)、どこにでもタバコをスパスパ吸ってる大人がいたし(電車でもバスでもタクシー内でも職員室でも教室でも[O川先生元気かな?])、国鉄(JRの前身)は何かとストを決行して運行が止まり、またしょっちゅう値上げしてるくせにサービスは最低で存在意義が「???」だったし(でも、貨物列車の最後尾に繋がれた車掌車の人の仕事には少し憧れたっけ・・・・「楽しそうで、かつ暇そうでいいなー( ̄▽ ̄)」まあ実際には意味があったんだろうけどね)、立ち小便する人や痰をどこでも吐く人もいたし、年末年始は店が空いてないから買い溜めしないと地獄だったし、年賀状や暑中お見舞いの葉書を出すのが礼儀だったし、光化学スモッグ注意報が出ると校庭で遊ぶの中止されたり、自動販売機でタバコや酒が誰でも買えたし、駅には待ち合わせする人向けに補完用に伝言板が必ずあったし(携帯電話がないので駅に来ても時間差等で運悪く相手に会えなかった人、急な予定が入りそちらを優先せざるを得ない時などなど)、体罰当たり前だったし、公衆電話で並ぶこともあったし、分厚い電話帳が一家に一冊あったし(携帯電話?何それ?22世紀の話?)、公衆便所は和式メインで、辺鄙な場所ではボットン便所で、ウン(運)が悪いと「お釣り」が返ってきたし( ;∀;)、水道水が家にも公園にもあるのにわざわざお店でお金払って水を買うなんて想像もできなかったし、子供が友達と長電話すると「もういい加減にしなさい!」と怒られるのにその大人は長電話当OKだったし(我が家だけ?)、テレビ番組では今ではPi-が入るセリフが溢れてたし、過激な番組もOKだったし、野球中継がテレビでもラジオでも多かったし、何が入ってるのかわからない怪しいお菓子が駄菓子屋さんで売ってたし(駄菓子屋さんなんてもう死語かな?)、自販機のジュースは瓶か缶しかなかったし(紙パックの自販機もあるにはあったけどオレンジジュースとか牛乳とか炭酸入ってないやつ限定)、空き瓶を買った店に持って行くと10円もらえたし、子供は外で遊ぶのがデフォルトだったし(「お菓子あげるよとか言う人について行ってはいけないよ」と先生や親によく言われたっけな)・・・色々「自由」で「まあ当時なら仕方ないか・・・でも今の基準なら改善の余地ありあり」な時代だったね( ̄O ̄;)